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グゲ遺跡概況

 
グゲ遺跡

 チベット初の仏教僧院であるサムイェ寺を建設し、779年には仏教を国教にしたのがティソンデツェン王。その息子がレルパチェン王。彼も熱心な仏教擁護者であった。仏教興隆の一方で、土着の宗教の信仰者の不満も高まっていった。その代表が、レルパチェンの弟であったランダルマ。レルパチェンを暗殺して王位に就くと仏教を弾圧した。そのランダルマ王も、仏教僧に暗殺されてしまう。
  こうしてチベットは群雄割拠の時代を迎えるが、ランダルマ王の息子の一人、ウースンがこの地に建てた国がグゲ国であった。
  ウースンから数えて四人目の王はイェシェウー。彼は仏教の復興に情熱を燃やす。リンチェンサンボをインドに使わす。リンチェンサンボは多くのサンスクリットの経典を持ち帰り、それを翻訳して新しい教えを広める。
  また、イェシェウー王にはこんな逸話が残る。トルコ軍に捉えられ王の身体と同じ重さの金を要求された。イェシェウーは、その金をインドから高僧を招くのに使いなさいと言って自ら犠牲になる。こうして、イェシェウー王の命とひきかえ招聘されたのが、マガタ国のヴィクラマシーラ僧院の大学僧アティーシャであった。
  アティーシャは当初、グゲを中心に布教を開始し、やがて、チベット全土に教えは広がる。アティシャの入蔵を契機としてチベットにおいて仏教が復興することになる。彼の主著『覚りに至る道を照らす灯』には、その後のチベット仏教の流れを決定する画期的な思想が説かれているという。
  その舞台になったのがグゲ王国であった。
  当時、グゲ王国には二つの中心があった。一つは、現在、ツァンダと呼ばれているトゥリンと、もう一つは現在「グゲ遺跡」と呼ばれるツァパラン。ツァパランは、十六世紀にラダックの攻撃を受け、廃墟と化した。
  山全体が一つの城塞のような造りになっており、山頂にある王宮の跡の近くには、経堂と曼荼羅堂の遺構が残る。
  また、山の中腹には、紅廟と白廟の二つの建物があり、白廟の内部には金剛界曼荼羅が描かれている。

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