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中国世界遺産-大足石刻


 

大足石刻 自然と文化遺産(1999年)
      四川省から重慶市にかけて横たわる四川盆地に、めずらしい古代石刻造像の「ギャラリー」がある。そのほとんどが広元、成都、楽山、安岳、巴中、潼南、栄、大足など、20数カ所の県と市に集中している。石像はあまりに多く、その総数は計り知れない。とりわけ集中しているのが重慶市大足県で、合わせて5万体以上の尊像があるという。1999年12月1日、大足石刻はユネスコの世界文化遺産リストに登録された。
      大足石刻は、古代インドの石刻造象芸術をルーツに、仏教文化に伴って中国へと伝えられた。北魏(385〜534年)から隋(581〜618年)、唐(618〜907年)に至るまでの時代、シルクロードに沿い、河西回廊をへて、黄河流域の中原に至り、多くの場所にその輝きをとどめたのである。新疆ウイグル自治区・カシュガルの三仙洞、バイのキズル石窟、クチャのクズガハ千仏洞、甘粛省・敦煌の莫高窟、武威の天梯山石窟、永靖の炳霊寺石窟、天水の麦積山石窟、寧夏回族自治区の須弥山石窟、陝西省の楡林窟、山西省・大同の雲岡石窟、河南省・洛陽の竜門石窟……。
       唐代の「安史の乱」(755〜763年)より情勢が動揺したため、多くの文化人や有能な職人、高僧らが戦乱を逃れてつぎつぎと、交通が不便で比較的社会が安定していた四川盆地に移り住んだ。それとともに高僧が仏教を伝え、職人が腕をふるって、四川省は当時、中国仏教文化の二大中心地の一つとなった(もう一つは浙江省・杭州)。四川盆地は古くから物産が豊かで、経済が潤っており、「天府の国」(天然資源の豊かな地)と称されていた。こうした歴史的・経済的な条件により、ここには仏教石窟の造営が大流行した。中国史上、石窟造像の輝かしいきらめきを放った場所となったのである。
      大足県内では、これまでに各クラスの文物保護単位が明らかにした石窟が、75カ所にも上っている。なかでも北山、宝頂山、南山、石門山、石篆山の石窟が、もっとも特徴的である。 まず北山だが、その摩崖石刻造像は、県城(県庁所在地)から西北2キロの北山の上に位置する。石刻は山頂の長さ約500メートルにわたる「仏湾」を中心として開かれており、その周囲五カ所にも分布している。
      北山は唐代末期、昌州の刺史(州の長官)であった韋君靖が、食糧を貯蔵し、兵士を駐屯させた場所だ。ここに現存する「韋君靖碑」により、北山石刻が造営され始めたのは「景福壬子歳」、つまり892年に当たると考えられている。その後、それは五代十国(907〜960年)、北宋・南宋(960〜1279年)の時代をへて、徐々に完成していった。北山仏湾には、整理番号の付けられた造像龕窟、経幢(仏号や経文を刻んだ石柱)、石碑、摩崖石刻などが合計290、うち尊像が4360体あり、多くは釈迦仏、阿弥陀仏、薬師仏、地蔵菩薩、観音菩薩、文殊菩薩である。
      北山仏湾に入ると、まず目にするのが唐代の作品だ。これらの龕窟内の尊像は、端正かつ豊満で、装束は簡素であるが、勢いがみなぎっている。たとえば五号の「毘沙門天王像龕」はその体躯が堂々として、まるで立派な武士のようだ。245号の「観無量寿仏経変相龕」は、高さ4・7メートル、幅2・5メートル、奥行き1・2メートルの龕内に、大小539の尊像が配されている。天界と下界のようすを渾然一体として表現し、深い彫り、浅い彫り、透かし彫りなど多くの技法を併用している。また正確な遠近法が使われ、景物を何層にも分けるなど空間利用に長けている。唐代の卓越した彫刻技術と芸術を表すものだ。
      大仏湾中部の125号龕には、「北山石刻の冠」と称される尊像がある。「数珠手観音像」である。尊像は石壁に寄って傾斜して立ち、頭には花飾りの冠を戴いている。目線を下にし、あでやかな表情、しなやかな体躯、ひらひらとしたスカート風の裳裾のいでたちで、まるで「神化した人」のようだ。「媚態観音」と称され、ある人はそれを「東方のモナリザ」にも喩えている。
      そこからしばらく進んだ136号の「転輪経蔵窟」は北山では規模最大、もっとも精彩を放っている石窟である。石窟の中央に彫刻された八角形の支柱「転輪経蔵」からその名前を得た。転輪経蔵は、石窟全体を支える柱の作用のほかに、輪廻の法則という仏教理念を象徴している。石窟の正面壁には釈迦牟尼座像、左右に分かれて迦葉、浄瓶観音と、阿難、大勢至菩薩がそれぞれ配されている。左壁には内から外へ、文殊菩薩、玉印観音、如意珠観音が、右壁には内から外へ、普賢菩薩、日月観音、数珠手観音が配されている。石窟入り口には、左右にそれぞれ一体の金剛力士像が立つ。
      窟内の20あまりの尊像は、それぞれ個性がハッキリしている。たとえば普賢菩薩は、中国女性のイメージに依拠しており、丸みをおびた顔だちで眉目秀麗、女性らしいしとやかさが表れている。文殊菩薩は四角い顔で、ガッシリとした体つき、つまり男性をイメージした尊像である。さらに日月観音は顔かたちがふくよかで、慈悲深くかつ穏やかな雰囲気、玉印観音は穏健かつ剛直で、何者にもおもねらない真っすぐなイメージ、数珠手観音はもの静かな顔立ち、如意観音は神聖で高貴なようすがそれぞれよく表れている。これらの尊像はその人間性を描写しながら、神の気品を兼ね備えている。人々がこの南宋時代の紹興12〜16年(1142〜1146年)に開かれた石窟を、「大足石窟の王牌(王様)」として奉っているのも無理はない。
      北山仏湾の石碑のうち、前述した「韋君靖碑」のほかには宋代の四大書家の一人、蔡京(他の三人は、蘇軾、黄庭堅、米フツ)の手による「趙懿簡公神道碑」と「古文孝経碑」がある。儒家の古典の一つ『孝経』は、中国に「古文」と「今文」の二種類の版があり、「今文」の多くは18章、「古文」は22章からなる。現在、保存されてきた『孝経』の石刻と書はいずれも18章の「今文」版だが、この「古文孝経碑」は22章の「古文」版で、その史料的価値はきわめて高い。そのため人々には「世界にわずかこの一刻」と称えられている。 
      変わって、南山は大足県城の南2キロに位置し、北山と相対している。宋代以来ここは文人墨客が茶をたしなみ、納涼し、詩を詠った場所だった。南山にはわずか15の龕窟があるだけで、尊像の数は北山にはるかに及ばない。しかし、南山の龕窟はひとしく道教の石刻造像で、じつに貴重な価値がある。四川省は道教の本拠地であるが、唐代以降さまざまな原因から仏教が栄え、道教が衰退していった。現存する道教の尊像はきわめて稀だが、ここにはよく保存された豊富な道教尊像がある。たいそう貴重なものである。
      南山の山頂には、もともと「玉皇観」と呼ばれる古い道観(道教寺院)があった。道観には立派な人格者が多く、そのためここの石刻造像と道士たちには密接な関係があった。造営草創の時代考証は専門家にとっても難しいが、遅くとも宋代以前であるというのが定説となっている。
      南山の造像のなかでは、第5号窟「三清古洞」がもっとも壮観である。石窟の高さ3・91メートル、幅5・08メートル、奥行き5・58メートル。二本の「盤竜柱」(巻きついた竜の彫刻のある柱)を手前にし、その後方にある土台の上に高さ3・4メートル、幅2・59メートル、奥行き1・57メートルの方形の中心柱がある。柱の正面には二層に分かれた龕が開かれており、上層には道教の最高神である玉清、上清、太清の三尊像が祭られている。下層には道教の玉皇大帝をはじめとして、四方をつかさどる神の「四御」が供養されている。