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四川風土人情

四川省の人口は大部分漢族で、残りは約4分の1ほどで少数民族である。そして、いろいろな民俗習慣があり、様々なお祭りもある。
中国伝統文化お祭りのは春節、元宵節、清明節、端午の節句、中秋節、重陽節、大晦日などを除き、ここは地方特色の民俗及びお祭りを紹介する。
節酒を飲む
虎牙と泗耳のチベット族の風情
節酒を飲む(恋人の酒を飲むとも称する)、毎年の松明祭が到来する前、男女の青年は節酒を飲む準備に忙しくて、女の子が布を買って新しい衣服、新しいズボン、新しいクロースベルトを縫い、また酒を買って牢固の所に隠さなければならなくて、条件があるのはまた小さいブタと大きい去勢したニワトリを飼って、その他にオートムギ面などを用意する。男性の青年は急いでフェルト、マントを作り、サラサと黄色い雨傘などを買って、あるものは銀の襟ボタン、銀のイヤリングと下げ飾りのついた耳飾り、銀の腕輪及び口弦と砂糖菓子など互いに交換する贈り物を用意する。

 

平武県の西部の阿?チベット族羌族自治州の松潘県と隣り合っている虎牙チベット族郷と泗耳チベット族郷は皆チベット族の集まり住むところである。ここで居住しているチベット族は、アパレル、住宅、習わしは阿?チベット族羌族自治州のチベット族と大体同じである。男子の頭はチベット式の狐の毛皮の帽子をかぶって、赤色あるいは黒色のチベット式長い中国服と長ズボンを着て、ゲートルをかけて、足はチベット式の乗馬靴を履き、腰はチベット式のベルトを締める;女性の頭はレディースのセミの毛皮の帽子をかぶって、短い普段着と皮のひとえの中国服を着て、腰は果果スカートをかけ、足は長ズボンをはいてとゲートルをし、足はチベット式の乗馬靴を履く。伝統の住宅は多くが石で積み上げた部屋で、平らな屋根の上で石板をかぶせ、家屋は普通は2、3階で、2階の部屋は下層に人が居住して上層は経堂と穀倉で、3階の部屋は下層に家畜を囲って飼育する。ここで居住しているチベット族はチベット語を言って、チベット文字を使い、チベット仏教を信奉する。ラマ僧の寺がないが、多くの集落の背後の山に皆ラマ僧堆があり、祭祀活動を主宰するラマ僧もある。ここで居住しているチベット族は同様に歌も踊りも上手で、濃厚な民族の風情を持っている。
祭祀習わし
白馬チベット族の風情
民国年間の祭祀活動は主に孔子、関羽、文昌、官吏と郷の徳のある人に弔いをするのである。社稷壇、先農壇、先カイコ祠などの廟祠を祭祀場所にする。孔子廟で孔に弔いをして、関帝廟で関羽に弔いをするのは比較的に盛大で厳かである。祖廟の祭祀は、毎年3回で、春の祭礼は清明の前後で、秋の祭礼は中元節になって、年の祭礼は除夜で行う。族長から祭祀を主宰して、戸主はお供に祭る。祭祀の過程は:“戸を開ける”、“神を迎える”、“神を参る”、“酒肴を捧げる”、祭文を読むなどがある。祭り終わって、族の大衆の集まって宴会をする。普通の家屋の中央の部屋内は皆祭祀に使う神棚がある。神棚の中で“天地君親師位”を貼って、両側は祖先の位牌を立てる。富んだ家の神棚は非常に重んじて、木で図案を彫刻装飾し、額と対聯などがある。祭祀活動は1年主に3回ある:一つは清明節、祖先の墓へ植樹して慰霊用の紙銭を掛かる。二は中元節で、ドア前あるいは野外で慰霊用の紙銭を燃やして、祖先に祭りを営む。三は“除夜”で、全家族人は祖先をしのんで、神棚の前で香を燃やし、慰霊用の紙銭を溶けて叩頭してお辞儀をする。
平武県の西北部の白馬、木座、木皮、黄羊関の四つのチベット族の郷鎮には、一本の古い民族に集まり住んで、白馬チベット族(多くの専門家と学者は氏族で、古代の白馬氏の後裔であると思っている)と呼ばれる。
白馬チベット族は文字がなくて、チベット文字をも知っていないで、その言語はチベット語と接近するが、同じではなく、一種の独特な言語である。白馬チベット族は仏教を信じないで自然な神を信奉し、その中に最も信仰するのは“ャシナモン”(“白馬旦那さま”と言う意味)と称される1基の神山で、最も重要な宗教の活動は毎年旧暦の正月初一〜十五日の“曹蓋”を跳ぶのである。白馬チベット族の住宅は“スギのバラック”で、山に従って建てて、屋根は“人”と言う字の形を呈して、上に青の瓦を覆って、家屋はすべて3階で、下層は牛、羊、ブタ、ニワトリなどの家畜を囲って飼育し、中間層は人が居住して、上層は食糧を積んでおいて祭祀を行う場所とする。白馬チベット族は歌も踊りも上手な民族で、声調、舞う姿は皆際立っている民族の特色がある。

ナシ族
羌族
西部の方言区は“納西”と自称し、東部の方言区は“納日”と自称する。主要な祝日は転山節、牛馬年などがある。原始の“東巴教”を信奉し、同じくチベット仏教あるいは仏教、道教を信じる部分がある。古い文化の典籍の《東巴》と史詩《創世経》は高い名声を有する。

農村の羌の人は麻布あるいは木綿の長い中国服を着て、外にヒツジの皮のひとえの中国服着る、山に従って石を積んで家を建て、望楼の高さは丈余り、古称の“?籠”である。竹縄の橋を建てることと井戸を掘ることに優れている。女性は挑花、刺繍が上手である。火葬、土葬と水葬をする。羌笛は古今でもたいへん有名である。
康定転山会
トゥチャ族
毎年旧暦の四月八日、人々は四方八方から康定にどっと集まって、山頂の芝生の上には、テントは延々と続いて、黒山の人だかり、昼間は競馬、相撲などの民族のスポーツを行う。夜になって、かがり火に燃え上がって、地面に座って酒を飲んで、徹夜で喜んで歌ったり躍ったりする。

民間に“手を振る堂”があって祭祀および“手を振る踊り”を踊るのに使う。トゥチャの絹織物の“本蘭?普”は古風で質朴で精巧である。民家は乾柵式で、俗称の“吊足楼”である。主に農業を経営して、林業と牧畜業を兼営する。

四川チベット族
カンバ(甘巴)チベット族の風俗人情
四川のチベット族はカンバ(甘巴)地区とアバ地区に分けて、みなもチベット族といわれたが、服装と言葉が違う。四川省の西部、臥龍ー小金ー丹巴ー道孚に分けて北はアバ州のチベット族の居住地で、南はカンバ(甘巴)チベット族の居住地である。
康定を中心としてのチベット族はみなもラマ教を信じて、中国の南方シルクロートである。帽子の上には羽がないで、北のチベット族と話すと、ぜんぜんわからない。習わしは阿?チベット族羌族自治州のチベット族と大体同じである。伝統の住宅は多くが石で積み上げた部屋で、平らな屋根の上で石板をかぶせ、家屋は普通は2、3階で、2階の部屋は下層に人が居住して上層は経堂と穀倉で、3階の部屋は下層に家畜を囲って飼育する。みなも同様に歌も踊りも上手で、濃厚な民族の風情を持っている。有名な康定情歌はここから伝えるのである。
イ族の火祭り
龍泉の桃花節
四川省の西南にある涼山(リャンシアン)州はイ(彝)族の居住地で、ここの民族の伝統お祭りは(火把節)火祭りである。毎年旧暦の6月24日(通常8月の初旬)の一週間、民族服装を着いたイ族の方は村に集まって昼中、歌か踊りか綱引きか綱登りか競馬かかレスリングなどを行い、夕方から夜半に開催される火祭りは最高になって広場の中央の大きなたき火を囲み、たいまつをかざした民族衣装の老若男女がテンポの早いリズムに乗り、みなも踊りまくって喧噪でとても賑やかである。由来は、イ族の祖先はかつて農作物の害虫対策は“神頼み”であった。日本では「虫送り」のような行事でやり方と名称などは地方によって異なるが、ほぼ5〜8月ころ、わら人形を作り、村中演出で太鼓を叩き、はやしながらたいまつをかざして田の回りを練り歩く。最後はわら人形を海や川に流して害虫の退散を願うのが一般的である。この行事に変化しつつも現在なお各地に継承されていて観光行事である。
毎年の春、四川人は何を忙しくするの梨花節と桃花節が続く。2月下旬ーー3月初旬、成都の周りには一番有名なのは新津の梨花溝である。満開の花の下、人々が集まって、よろこんで春の息を吸う。雅安も綿陽も毎年、梨の花節を行う。
3月中旬から4月初旬まで、桃の花が満開で、桃花節という。一番成功の行われたのは龍泉の桃花節である。成都平原の特別の気候で、花期も長く、通常2週間以上続き、花弁も他所より大きい。成都郊外の龍泉の山々の山腹では大面積の桃が植えられ、人々が集まって、どこもお花見の人がいっぱいになる。毎年、桃花節の時、有名な歌手及び芸術家がこられて、非常に賑やかで、三百万人を超える。朝と夕方、この方向への高速道路及び普通道路もとても混んでいて、いつも交通渋滞になって、数十キロほどで待ている。
南充槐花節
新津の梨花節
南充の槐樹の花節も地方特色がある節。南充市の西山公園では、多い槐樹が植えられ、百年以上樹齢のもたくさんある。毎年4月下旬から5月中旬まで、槐樹の花が満開で、白い花、クリーム色の花、青緑の花、紫の花などで、品種も多い。この公園も三国志のテーマ公園をとして、いま重点的に開発された。
毎年の春、四川人は何を忙しくするの梨花節と桃花節が続く。2月下旬ーー3月初旬、成都の周りには一番有名なのは新津の梨花溝である。満開の花の下、人々が集まって、よろこんで春の息を吸う。雅安も綿陽も毎年、梨の花節を行う。
都江堰放水節

毎年4月1日か3月31日、都江堰の放水節が行われる。成都平野の水はみな、都江堰水利施設で岷江から分流で、平原に流れる。この水利施設は2200年の前で造られ、旱魃が防止され、洪水も防止され、成都平原は灌漑をされて、年々豊作である。この福祉はいままでも役に立つので、李氷親子の記念するため、放水節が行われる。唐代の時、清明節の前後、放水のお祭りがあり、これは最初の記載である。放水節は、都江堰水利施設の頭で厳かにいわう。いろいろな外国来賓、官員及び名人などがこられ、古い雰囲気で行う。