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赤壁概要


赤壁
   赤壁は文赤壁と武赤壁の2所がある。文赤壁は湖北省の黄岡市境にあり、中国歴史で多くの有名な文士の遊覧した遺跡のため、赤壁公園がある。武赤壁は三国遺跡の古戦場で、湖北省蒲圻県北西の境にあり、現在、すでに赤壁市に変えた。赤壁の古戦場は赤壁市西北方向の38キロメートルの所、揚子江南岸にある。長江三峡の下り、宜昌と江陵を過ぎて、つまり赤壁である。長江の向うの烏林、1973年以来、そこはたくさんの後漢末期の文化財が出土され、これは三国時代の赤壁が証明できる。西暦紀元208年、曹操は自く20万大軍が東呉に進撃した。孫権と劉備の連合軍は曹軍の苦手な船で戦いを利用して、火攻めの方法で曹操に勝った。孫劉の連合軍は少数をもって、魏、蜀、呉の三国が鼎立する局面の形成、決定的作用を果たした。赤壁観光地は赤壁山石刻、南屏山拜風台、金鸞山鳳雛庵、赤壁陳列館などで構成する。

赤壁山石刻

   赤壁山臨江の断崖の上、刻んでいる「赤壁」の2字、それぞれの長150センチ、幅104センチ。赤壁磯の山頂、1936年、建てた翼江亭があり、この亭は6柱の角亭で、梁柱は石を使って構成して、古風質朴で、周囲の松柏も密生している。ここはその時、呉国の周瑜の指揮所でした。彼岸川沿い長くて広い樹林は、烏林と呼ばれ、当時、曹操軍隊の駐在した地方。赤壁磯の端の平地に、そびえ立っている三国東呉都督周瑜の石彫像で、この塑像は1991年旧正月に立ったので、その身長は6.5メートル、高さは9.2メートル、26つの花崗岩の巨石で彫ってなって、存分に周瑜の英雄のイメージを現している。 遠くない地方は望江亭があり、言うところによれば、赤壁大戦の時、黄蓋はここで曹営を眺めた。

拜風台
   ここはかつ名武侯宮が呼ばれ、赤壁山の東南の南屏山の山頂にあり、赤壁之戦の時、諸葛亮がここで祭壇を設けて、東風を借りたところ。宮殿には、諸葛亮、劉備、関羽、張飛の塑像があり、造形は生き生きしている。明代の1610年、嘉魚の知事ー葛中憲は拜風台を再建した。今の拜風台は1935年が再建され、1948年は補修された。隣は、1975年の東風閣があり、遊覧客の休憩用である。赤壁碑廊は拜風台右側にあり、2525つの大理石碑があり、歴代の名家は共に25首赤壁之戦のの詩を作って、みなも現代有名な書道家の自筆であった。

赤壁大戦陳列館
   それは三国の戦争史を特別テーマの陳列館にしたので、面積は2069平方メートル。1990年から着工して、1994年は造り上げた。外観は3隻の古軍艦の形をめぐって、中の天井は高くそびえて、造型は造形はユニークである。館内は序庁、戦況模型室、蝋人形ストーリ室、文学歴史資料室を設けた。館内の展示物は真実で東漢末年、人文歴史と三国赤壁での壮観な激戦場面を再現した。壁の上の3枚大い情勢地図があり、庁内に、その時の大型投石車、孔明の軍事車両、古馬車、劉備の結婚輿、三国の将兵服装、鎧ヘルメット及び兵器などを陳列している。文史資料室の中、三国都の模型、壁画、帝王家系を陳列している。赤壁の周りで出土した多くの貴重な文化財ー例えば刀、銃、剣など兵器と大量の三国東呉の銅貨幣と青銅製鏡などもここで展示している。陳列館の埠頭は長さ118メートルの古代軍艦が停泊している。

金鸞山鳳雛庵
  金鸞山の中腹、鳳雛庵があり、ここは厖統のかつて隠遁した家である。庵の外、1本の高くて大きい千年の銀杏があり、この木の下、白い壁と青い瓦の古庵を隠して、互いに引き立て合い、雰囲気になる。庵ドアに書いてある「鳳雛庵」の3つの大きな字は、1846年清代、書いた。最初は、九層大殿で、今、1層を残っただけで、面積は300平方メートル、3つの殿室から構成して、金正殿の真ん中、厖統の塑像を祭っている。

 

 

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